楽器の演奏にチャレンジしたり、幼少の頃から生の音楽に接する事により、様々な効用が期待できると言われています。
「感受性を豊かにする」
「幼児期に音楽に接すると、知的側面と情緒的側面(右脳左脳)のバランスの取れた成長
をうながせる」
「特定の音感教育を受けると脳の発達を促し、音楽的能力、学習能力が向上する」
などが 例としてあげられるかと思います。これらの音楽の効用は、すべてではないとしても科学的に実証されているものもあり、音楽教室に通う事で得られるすばらしい恩恵だと思います。
楽器の演奏にチャレンジしたり、幼少の頃から生の音楽に接する事により、様々な効用が期待できると言われています。
「感受性を豊かにする」
「幼児期に音楽に接すると、知的側面と情緒的側面(右脳左脳)のバランスの取れた成長
をうながせる」
「特定の音感教育を受けると脳の発達を促し、音楽的能力、学習能力が向上する」
などが 例としてあげられるかと思います。これらの音楽の効用は、すべてではないとしても科学的に実証されているものもあり、音楽教室に通う事で得られるすばらしい恩恵だと思います。
音楽の効用
しかしどうでしょう、音楽を習っていない子供は感受性が豊かではないのでしょうか。そんなことはないですよね。人間は元から豊かな感受性を持っています。。
音楽に接しなかった人は、知的・情緒的側面のバランスがとれていないでしょうか。
そんなことないですよね。バランスのとれた成長を促すのに、音楽がその一助にはなると思いますが、他にも大切な事があるように感じます。
音感教育を受けないと脳は発達しないのでしょうか。
一流の学者・科学者の多くが音感教育を受けていたとは思えませんし、第一線で活躍する演奏家でさえ、小さな時から様々な形で音楽に接していたとしても、多くは特別な音感教育など受けていません。
では音楽教室でなければ出来ない事、大切な柱、目的とすべき事は何でしょうか。
音楽教室に通ってみたい、子供を通わせたいと思ったきっかけはとてもシンプルだと思います。「心揺さぶられる音楽を自分で演奏できたら素敵だろうな。楽しいだろうな」「演奏し表現する事への憧れ」と言った単純で純粋な思いではないでしょうか。先述したような効用を期待したとしても、その根本には「音楽が好き」「音楽を好きでいてほしい」との思いが有るのではないかと思います。目的を取り違えると、その根本的思いを失う事になりかねません。
音楽に接する事により得られるこれらの恩恵・効用は、その思いを維持し、長く続けて行ければ、有る程度は自然と得られる物です。
感受性を豊かにするのではなく、元々持っている豊かな感受性を引き出し、発揮できるスキルを身につけ、生涯にわたって様々な形で音楽に接して行きやすくする。そういったスタンスが最も重要ではないかとおんがくえんは考えます。
効用は目的?
いつも、いつまでも音楽を楽しめるように
基本的な事が大切になってきます。
では具体的にどのような事が身に付けば、いつまでも音楽を楽しめるでしょうか。
すべては書けませんが、例えば楽譜が読めるという事(※)。ハーモニーやリズムの役割を理解し、その変容を感じ取れると言う事。指番号をふらなくてもヴァイオリンを弾けるという事。
何だそんな事かって思われましたか?
でもやっぱりこういった基本的な事が大事になってきます。
楽譜が読めれば、ピアノを習っていた子が将来、オーケストラや吹奏楽の弦楽器や管楽器、バンドのギターやベース、ドラムなどに挑戦したいと思った時、躊躇無く飛び込む事が出来ます。大人も同様です。
ハーモニーやリズムの変容を感じ取れれば、リスナーとして享受する音楽の喜びがより深くなるだけでなく、アンサンブルや合奏がより楽しい物となります。
楽器は音楽を楽しむ為のツールでしかないのですが、いつまでも指番号を振らなければヴァイオリンが弾けないようだと、ツールの操作のみに終始してしまいがちになり、その先に有る音楽の喜びに到達できません。
楽譜が読める事と書くと、ちょっと身構えてしまうかもしれませんね。でも楽譜の仕組み(コードも含めて)は簡単な算数と同じです。足し算・引き算、それに簡単なかけ算と割り算です。初歩の導入は数が数えられればいいだけです。個性を見極めながら丁寧な指導を心がければ決して身につけられない事ではありません。
そして、楽譜を読めるようになるためのレッスン=機械的でつまらないレッスンではありません。やり方次第です。
様々な教材から適材適所、そして適時チョイスして(絶対の教材は世の中に存在しません)興味・関心を喚起し、先生と一緒に楽しみながら、基本的なスキルを身につけられるようレッスンして参ります。
現在、小学校や中学校の音楽の授業で、楽譜が読めるようになる指導はしなくなっています。その理由を簡潔に言えば、豊かな情操を養う事を目的とした指導要領において、楽譜を読む事を重要視しなくなった事と、西洋の音楽を起源とする、いわゆるドレミの音階からなる音楽がすべてでは無いという考え方に基づきます。
これは決して間違いではないのですが、リスナーに徹するのではなく、主体的に演奏に関わり、それを楽しみの元とするには不足があると感じられます。(それを求める人は部活動や民間に任せるとの意図を感じる事もできます)
西洋を源としない音楽でも、すべてではありませんが、その多くは西洋の音楽を源とする五線の記譜法に置き換える事が出来ます。沖縄の音階を使った音楽やアフリカを起源とするリズムを、西洋の楽器で演奏できるのはそのためです。そして、大人も子供も普段耳にし、心動かされる音楽は、ドレミの音階を使用するか、それに置き換えらる音楽が多数であると言っても過言ではないでしょう。
ある限られた音楽を追究するのに五線の楽譜の読譜力をつける事は必要有りませんが、幅広く音楽に接して行くのに、五線の読譜力をつける事が大変有利である事は間違いでないであろうと私どもは考えます。
「いつも、いつまでも音楽を楽しめるように」
おんがくえんの目的もシンプルです。レッスンのすべてがそこへ向かいます。
※音楽の授業と読譜について
©2011 ONGAKUEN Music School All rights reserved